Last Updated on 2020年7月25日 by teioufusui
本日は私の自己紹介をさせていただきます。
私は、
中国武漢の世界第三大の川――
揚子江の近くで産まれ、
サラリーマンで共働きの両親の元、
一人子として、
たっぷり親の愛をもらって
何不自由なく育ちました。
物心がついた時から、
本が大好きで、
どんな玩具がほしいと親から
聞かれたときに、
いつも「本がほしい」と即答しました。
本の中に、とにかく古典小説が大好きで、
小学校の時に、中国四大古典小説の
「三国演義」「紅楼夢」
「水滸伝」「西遊記」を
全部読み終わりました。
その中の一番好きな人物は
「三国演義」の中の劉備の軍師の
諸葛孔明です。
本が大好きな私にとって、
小学校卒業まで
勉強はとても簡単なことでした。
武漢市唯一の進学校、
武漢外国語学校
にストレートで合格しました。
武漢市の人口は950万人で、
毎年8万人の小学校の卒業生がいますが、
武漢外国学校に入りたい受験生は
2万人を超えていました。
2万人の中に120人しか
合格できませんでした。
偏差値から見ると、
北京大学に入るより
難しいと言われています。
今でも大変人気がある学校です。
武漢外国語学校は
中学校と高校が一体となっている
寮制度の学校です。
小学校では学業が順風満幡で
常にクラスの1位を
キープしてきた私は、
中学校の楽しい寮生活を期待しながら、
入学しました。
しかしながら、
入学前にイメージしていたよりずっと厳しい生活が
待っていました。
寮は設備が整っておらず、また共同生活に
疲れを感じてしまいホームシックになりました。
学校の寮は16人の住合い部屋です。
16人の部屋には、
扇風機が2台しかありません。
そのため、真夏は毎晩汗だくで寝ていました。
寮は、16人の共同の空間で
ベット以外は小さい机しかありません。
狭くて、夏暑くて、冬寒くて
ぼろぼろの寮でした。
そして、12歳まで一度も
家から離れるたことがなかった私は、
ホームシックになりました。
とても辛過ぎて
家に帰りたいと何度思ったかわかりません。
半年になり、
ようやく共同生活に慣れ、
ホームシックがなくなった私に、
新しい試練が待っていました。
周りが優秀な人達ばかりで
日本語の成績が伸びず、
必死に勉強をしました。
日本語の中間試験の成績は
クラスのビリでした。
成績は悪くありません。
100点満点で90点でした。
ただし、ビリでした。
難関の試験を合格した
優秀な学生ばかりです。
皆さん要領がよくて、
理解能力がとても高い人ばかりです。
ビリになったおかげで、
ちゃんと勉強しようと決心しました。
毎朝、誰より早く起きて、
日本語の教科書のテープを聞きながら、
日本語の発音を練習します。
日本語の単語を暗唱するために
カードを作って、常に眺めます。
週末は時間がある時に
日本語のドラマのテープを入手して
時間をかけて、聞き取りました。
5秒ごとに、テープを止めて
少しずつ聞き取ろうと頑張りました。
何回も聞くと、だんだん
内容は耳に入れるようになりました。
最初の1年半は本当に大変でした。
不思議なことに、
つまらないと感じていた単語は
だんだんと面白い言葉になり、
楽しい文章に
感じられるようになっていきました。
高校の入学試験の日本語の成績は
クラスのトップ5に入りました。
高校を卒業し、推薦入学で無事に
中国広州にある
広東外語外貿大学に入学しました。
経済学、貿易を勉強するために、
日本へ留学しようと決心しました。
素敵な京都の同志社大学
大学院で2年間勉強できました。
専攻は念願の国際貿易です。
2年後に経済学修士号を取得し、
念願の商社で働くことが実現しました。
中国語、日本語、貿易の知識が
活かせる会社に就職が決まったのです。
そこで、運よく大きな取引先と
出会いました。
このチャンスを活かすことで業績を上げ、
何度も「優秀社員賞」を獲得。
会社からは「あなたがいないと困る」と
言われるようになりました。
この仕事を通して会話にも
コミュニケーションにも強くなり、
現在のコンサルにも、
それを最大限に取り入れています。
私が入社した時、
所属した部署の鉄鋼の売上高は
約1,000万円でした。
新しい顧客は最初は半信半疑で,
50トンしか注文してくれなかったのですが、
日々のやり取りの中で、
段々私のことを信用してくれるように
なりました。
顧客は単に価格を見て、
商品を買っていません。
たくさんの品質価格を
比較して、
その中から
一番優れた商品を選びます。
したがって、
普段から私は相対的な
「高い品質」、「低い値段」、
「短い納期」、「速いアフター対応」
を全部心がけて、
サービスを提供していました。
顧客の広島の工場から、
クレームが来た時には、
私は当日で一人で新幹線に乗って、
工場に訪問して、
顧客が納得できるように、
苦情に対応しました。
日々の努力により顧客から
信頼を得ました。そしてそのお陰で、
段々受注額は増え、
当初1,000万円程度だった月の売上は
7億円になったこともありました。
4年目になると年間の売上高は
40億円を超えました。
このようにビジネスで得た
知識と心理学、風水学を
合わせて現在は
「風水心理コンサルタント」
として活動をしています。
現在は
「本物の中国風水」を
もっとたくさんの経営者に
お伝えてしていきたいと思っています。
「風水は占いではなく、
4000年以上歴史がある帝王学です。」
私は、ぜひ経営者の方達に
その帝王学の知識
「帝王風水」を駆使してもらって、
もっと良い会社、
もっと良い国になってほしいという
気持ちになっていきました。
帝王学をお伝えする
セミナーや風水鑑定は、
みるみる人気講座、
サービスとなっていきました。
なぜなら、占い、胡散臭い壺は
必要なくなりますから。
自分で努力すれば
幸運になれることなのですから。
そのような思いで活動を始め、
1年後には、
運命と宿命、風水を
伝授する
講座を開催できる
までとなりました。
セミナーでは、
各宿命、運命、環境として
の意味を知り、
それを自分自身の現実に
置き換えて自分の本質、
ご家族、仕事関係、
気になる方の本質が
手にとるようにわかるようになります。
同時に、風水コンサルの仕事も
はじめました。
風水コンサルを受けていただいた
男性経営者の方は、
既に、受講直後から、
これまで上手くいかなかった
採用活動が順調になり、
自分が社員として採用したいと思った
優秀な人財を2人
採用することができました。
着々と右肩上がりに売上を伸ばし、、
海外へ販路を作り上げた
女性経営者もいらっしゃいます。
実際に運命を決めるのは
ご自身です。
ですが、
自分の本質やサイクルを知る事で、
行動に確信が持て実現が
可能になってきます。
人間の能力というのは、
限りなく大きいと思います。
私は、そのスイッチを帝王学で探り、
自分で自分の運命を
作っていただくノウハウを
お伝えする事。
一生強運が寄り添い、
応援し、味方となり
励ましてくれます。
私も、
「本当の運とは」を探求して、
より良い運命を作ること
が人生の課題です!
経営者のみなさんにも、
是非幸運を味方につけ、
制限をかけない本当にご自身が望む
会社経営を頭に描き、実現へと
歩んでいただきたいと思います。
いかがでしたか。
今日は私の軌跡と帝王風水にかける想いについて伝えました。
「帝王風水メール講座」では、運気が下がってしまうNG事例を伝えています。
幸運を掴みたい経営者の方はぜひご登録ください。